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千葉地方裁判所 昭和61年(わ)68号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、昭和六一年一月一四日午後一一時ごろ、千葉県船橋市西船四丁目二七番七号所在の日本国有鉄道(現在、東日本旅客鉄道株式会社)西船橋駅四番線ホーム上において、甲野一郎(当時四七年)と口論の末憤激し、被告人から離れて同ホーム端に向け歩き始めた右甲野に対し、その右肩付近を両手で強く突く暴行を加え、同人を同ホーム下の電車軌道敷内に転落させて、折柄同駅に進入して来た総武線上り電車の車体右側と同ホームとの間にはさんで圧迫し、よつて即時同所において、同人をして胸腹部圧迫による大動脈離断により死亡するに至らしめたものである」というのである。

〈証拠〉によれば、被告人が右公訴事実記載の如く、同日時頃西船橋駅ホーム上において甲野一郎の肩付近を両手で突いたことが認められるところ、右に至つた経緯につき、被告人は、勾留中に作成された前示検察官に対する供述調書において、「私がベンチ付近まで行つたとき、確か私の左斜め後ろあたりにいたその男の人(甲野一郎)が手のひらで押したと思つたが、私の頭の後ろを何か言いながら一回小突いてきたので、両手に紙袋を提げていた私は、そのため思わず前に進み出てしまい、頭も前に傾いた。その小突き方は手のひらの手首付近を私の頭の後ろに押し当ててそのまま前にぐうつと押し出すような小突き方だつた。小突くとき男の人はまた私を馬鹿にするような余り内容のないことを言つた。頭の後ろを小突かれるまで、私はその男の人につきまとわれても我慢してなるべく相手にしないようにしていたが、いきなり今度は私の頭を小突いてきたので、むかつとしてしまつた。そこでその男の人を押しやれば、もう私に口や手を出さないのではないかと思つて、両手にぶらさげていた紙袋をベンチの上に二つとも置いてベンチ付近に立つていた男の人に向かい合い、両手を男の人の胸に当ててその体を突き離すようにして軽く押したところ、男の人はその勢いて二、三歩ぐらいよろよろと後ずさりした。私は男の人を突き離せばそれ以上私に付きまとわないのではないかと思つていたのに、男の人は私に押されてよろよろと後ずさりすると、何、この、などと怒鳴りながら私に向かつて来た。そして私がベンチのわきの灰皿付近に、また男の人が私の左斜め前に居る位置で、男の人は私が着ていたコートの胸元あたりを両手でつかんで来た。私もその男の人を離そうとして男の人の胸元付近をやはり両手でつかみ、一寸もみあいとなつた。しかし男の人がしつこく私から手を離さないので、私は両手のひらを男の人の両胸あたりに押し付けて、そのまま前よりはもつと強い力で、その両腕を前にぐつと伸ばして男の人を突き飛ばすと、男の人は私から手を離し体のバランスを崩しながら、私の見た感じでは左斜め後ろ側に、とつとつとつと、という感じで後ずさりして行き、その途中でなんとか体勢を持ち直そうとしていたように見えたが、右曲りコースでホームの端から線路上に落ちてしまつた。私と少しもみ合つているとき、男の人は、てめえみたいな女がようとか、てめえこの野郎などと汚い言葉で私をののしつてきたように憶えているし、私も男の人には頭を小突かれたことで頭に来ていたので、男の人に対して何か怒鳴つたことは憶えている。ただそのときは私も夢中だつたので、どんなことを怒鳴つたのか憶えていない。最後に私が男の人の胸を突き飛ばしたとき、男の人がいた位置は、四番線ホームの端から直線で測つて大体の感じで三メートル近くあつたような気がする。そして私とその男の人の位置関係は、私より男の人の方が(四番線)ホーム端に近い方にいて、私がホームから線路に向かつて真直ぐに立つていたとすると、私の左斜め前付近に男の人がいるような感じだつた。」「男の人の右肩だけを押したことはなかつたように思うが、一瞬のことだつたので少し右肩寄りの胸を突き飛ばしたのかも知れない。」と述べ、公判廷においても、「男の人が、肘をつついたり、馬鹿女とかということを何回も繰り返しながら、べつたりくつついて来て、回し蹴りみたいなことがあつて、そのうち、後ろから手のひらの手首のへんで私の頭の後ろの方を突いたみたいな感じで殴られ、私は荷物を両手に持つたまま一歩ぐらい前につんのめるというか前に転びそうになつた。そのとき左横に丁度ベンチがあつて、荷物が重かつたので、そこに荷物を置いた。そして、段々ひどくなつてきたから何されるかわからないという気持があつて、後ろにいたその男の人をすぐに、何すんのよ、と言つて両手でコートの胸のあたりを押した。男の人は一歩ぐらい後ろによろけて、そのときに、何、この、と言つて私の方に向かつて来て、私のコートの襟を両手でつかまえた。そのときに私も手が丁度男の人の襟をつかまえた。男の人がつかまえたまま二、三回私をゆさぶつて、私はひつくりかえりそうになつた。私が、離してよ、と言つたが、いつまでたつても離してくれず、また殴られて何されるかわからないと思い、私の襟を両手でつかまえている男の人の胸のあたりを両手で押した。そのときの私の位置は、横に灰皿があり、売店の方に斜めになつていた。男の人は私の真前に向き合つていた。私が両手で押すと、男の人は後ろの方によろよろとよろけた。」旨供述していて、要するに、公訴事実にいう如き被告人から離れてホーム端に向け歩き始めた甲野を突いたものではない旨を述べているが、右供述内容は、検察官が冒頭陳述において、「被害者が被告人に対して捨てぜりふを言い四番線ホームの方向に二、三歩歩き出したところ、被告人が何か言い返したため被告人の方に引き返し、同人の後頭部を斜め後方から小突いた後、被告人のそばを離れ、再度四番線ホーム端の方に歩いて行つた。両手に紙袋を提げていた被告人は、被害者に後方から後頭部を小突かれ、一歩前によろけたため、被告人はこれまで被害者に付きまとわれて馬鹿呼ばわりされたうえ、最後に後頭部を小突かれたことに激昂し、紙袋をベンチに置き被害者をその後方から追いかけながら、同人に対し、あんたなんか電車にひかれて死ねばいいとか、ホームから突き落としてやるなどと怒鳴つた。すると四番線ホームの端から約一・五メートルないし約二メートルの位置に至つていた被害者が被告人の方に振り返つた。被告人はベンチの千葉寄り斜め前付近で被害者に近寄り、一歩前に踏み出すようにしながら同人の右肩付近を両手で強く押した」というところと、被告人が甲野を押した位置、被告人が甲野に後頭部を小突かれて甲野を押すに至るまでの間に右の押したのとは別に被告人が甲野を遠去けようとして突いた所為の存すること、そして右の間における被告人と甲野のかかわり合いの状況など、特に被告人が甲野に手で襟のあたりを掴まれたか否かについて著しく齟齬し、更に論告において、「被告人は被告人から離れてホーム端に向け歩き始めた被害者に対し積極的かつ一方的に本件暴行を加えた」「被害者に対し積極的に先制攻撃をかけた」「その加害意思は単なる暴行の程度にとどまらず、被害者をホームから転落させる意図で突き飛ばしたとも認められるものであり、その犯行の態様は極めて悪質である」と主張するところは全く異なる状況にあつた趣旨をいうものである。

ところで、前叙の如く、被告人は、甲野一郎に対し二回にわたつて手で突く所為に出た趣旨の供述をしているところ、前示昭和六一年一月二七日付実況見分調書によれば、西船橋駅三、四番線ホームは、その幅が最も広い個所で約六・九三メートル、千葉寄りの中央階段を下りて約二〇メートル東京寄りに売店が存し、同売店から一〇数メートル東京寄りの地点に二台のベンチが背中合わせに置かれていて、その背合わせ付近の千葉寄りに灰皿があり、またベンチの四番線ホーム寄りの端から同ホーム線路際の端までは約二・八メートル、という状況にある。

そこで先ず、甲野がその後線路上に落ちるまでになつたところの被告人の突く所為がホーム上の如何なる位置においてなされたかについてみるに、(1)四番線側ベンチの中程に腰掛けていたA証人は、「三番線側ベンチの千葉寄りの端付近で男の人が少し右肩を開いた感じ、それに対して女の人は左肩を開いた感じで、二人が丁度片仮名のハの字を書くような感じで五〇センチ位離れて三番線ホームの方を向いていた。四番線に電車が入るという案内放送があつて、男の人が女の人に向かつて、この馬鹿女が、と言い、左肩を四番線の方に向け、左斜め前に歩いて行つた。女の人は、馬鹿女という男の人の言葉にショックを受けたみたいで、死んでしまえばいい、ということを言いながら、ベンチの千葉寄りにある灰皿付近から、そのとき立ち止まつていたと思われる男の人の右肩を両手で、踏んばるように力をこめるみたいな感じで押した。足の方は見えなかつたが、一歩踏み込んだという状態に見えた。死んでしまえばいい、という声が聞こえて私が振り向いたとき、女の人は右手を出して男の人の右肩を丁度とらえたぐらいというか、押す前につかむその時点だつた。右手は肩の前に行つて左手はそれに添うような感じだつた。男の人と向かい合う感じで、前から右の肩の上の方ぐらいに手が行つた。女の人が押したとき、男の人は私の方に体を向けていて、押す時点では私の方に女の人の体の右手前が見える位置にあつた。その距離は五〇センチとはなかつた。男の人は不意に押された感じで、押されて後ろに下がるような感じで、その間にバランスをとろうとして、おつとつと、という感じでやや東京寄りの方向にまつ直線に落ち行くように見えた。」旨を証言し、また、(2)四番線側ベンチの中程の前に同ベンチに腰掛けているAら同僚の者と向かい合う形で立つていたB証人は、「私の位置からみて斜め右前のあたりの、ベンチの千葉寄りの灰皿の向う側付近で、男女が何か言い合つていて、女の人がやや東京側、男の人が千葉側で、二人はそんなに離れておらず、一メートルあるかないかぐらいだつた。ベンチの脇で二人が言い合つているうち、男の人が、やつてられないよ、と言つて一、二歩左斜め前の方に歩き始めた。それに対して女の人が何か言い返した。男の人が言い返されたあと、また女の人の方に向かつて行つた。そして男の人が右腕の肘から下のあたりを、女の人のやや左後ろの首筋から一寸上あたりと思うが、そのあたりにやつているのが見えた。そのとき男の人は四番線側ベンチと千葉寄りの柱との間ぐらいに居て、三番線ホームに斜めに向いていたと思う。女の人はその三番線寄りに四番線側ベンチの方を向いていた。男の人が女の人に手をかけて、女の人は体がよろけたと思う。確か前のめりになつて、一歩とか半歩とか位は動いたと思う。それから二人が少し離れたと思う。男の人が右腕を出した後、女の人が一歩か半歩動いているので、それで離れたと思う。そのあと女の人が男の人を押したと思う。押した瞬間は見ていない。男の人は後ずさりするような形で、どたどたというような感じで動き出し、後ろ向きに線路上に落ちた。恐らく男の人が動き出した頃、女の人が、あんたなんか電車にひかれて死んだらいい、という意味のことを言つていたので、その方を見た。私が見たとき男の人はもう動いていた。男の人が捨てぜりふを吐いて私の方に来て、直ぐまた女の人の方に戻り、そして女の人の左斜め後ろから手をかけたが、このかけたときの距離は殆んど接近していた。女の人は私の方に来たときベンチに荷物を置いて移動して来た。」旨を述べ、(3)東京寄りの四番線側ベンチに腰掛け上半身を左横向きにして、千葉寄りのベンチの方を見ていたC証人は、「(千葉寄りの)三番線側ベンチの近くで男女が口論していて、男の人が女の人に絡んでいる感じだつた。男の人が右か左かわからないが曲げた肘をのばしながら女の人の肩のあたりを軽く叩いたと思う。女の人は結構強めで男の人の上半身を叩き返した。女の人に叩かれて男の人は二、三歩後ずさりした。二人はだんだん四番線ホームのベンチの灰皿あたりに移動して来た。女の人はそのとき荷物を持つていなかつた。それからやはり叩き合いをやつていて、男の人が女の人に叩かれ、二、三歩後ずさりした後、女の人に向かい、馬鹿女、と言つた。男の人が馬鹿女、と言つたのは、女の人に叩かれてそう言つたと思う。馬鹿女といわれて女の人は、正確ではないが、あんたなんかホームに落してやる、というような言葉を言つて、男の人を突き飛ばした。両手で、折り曲げた肘をのばす形で男の人の肩をポオンと一回突いた。そのとき女の人は東京寄りの三番線側に、男の人が四番線側で幾らか千葉寄りという位置で立つていた。押した方向まではわからない。そんなに強い力で押したとは思つていない。突き飛ばされたときの男の人の位置は、馬鹿女と言つたときの位置から四番線の方に一寸移動していた。男の人は突き飛ばされてふらふらとなつて、途中から体が若干私の方に向いて落ちて行つた。」旨供述し、また(4)四番線側ベンチの中程に腰掛けていたD証人は、「ベンチと千葉寄りにある柱との間の三番線に寄つた付近で、千葉側に居た男の人がやたらに東京側にいた女の人に絡んでいるのに気付いた。その後二人が東京寄りに移動し、男の人が東京寄りに、女の人が千葉寄りになつた。そのあと見たとき男の人が四番線側ベンチと千葉寄りの柱との間のあたりに居り、その左斜め前の三番線寄りに女の人が向き合つていた。男の人が女の人に対して、この世に生きる価値がないというような趣旨のことを言つていた。それから時間も余りたつていなかつたと思うが、女の人が男の人に向かつて右肩のあたりを手で押した。片手か両手かは覚えていないが、右手ではないかと思う。そのときの男の人の姿ははつきり見えたが、女の人の姿ははつきり見えなかつた。男の人は押されたとき振り返つたという状態ではなく、はつきりと女の人の方を向いていた。男の人は押されて、よろめきかかるようにして、私達が坐つているベンチの前の方まで来て、それからホームから転落した。」旨述べ、(5)初め三番線側ベンチに腰掛けていたがその後千葉寄りの柱のそばに移つたE証人は、「女の人は真直ぐにベンチの方に来て、私の横に荷物を置きその前に立つていた。男の人はかなり近い位置でふらふらしていたが、しばらくしていつたん離れ、四番線側ベンチの方に行つた(同証人はこの頃までに柱の付近に移動し、四番線ホームの方を向いて本を読んでいる)。男の人はまた戻つて来て、何さまだと思つているんだ、というようなことを女の人に言つていた。それから私が気がついたとき、男の人は私の横を通り抜けて、三番線の方を向いた形で四番線ホームの方向に後ずさりし、四番線側ベンチの角あたりまでは割にゆつくりというより少し早めに後ずさり、その後はふうらふらして三歩位してホームから落ちた」旨証言していて、右各証言によれば、被告人が甲野を突いた地点は、四番線側ベンチの千葉寄り付近ないし右ベンチと千葉寄りにある柱との間のあたりであるとみられ、従つて右地点と四番線ホームの線路際との間には三メートル前後の隔たりを存していたことになる。右の点につき、(6)千葉寄りにある売店あたりの四番線ホーム線路際付近から目撃していたF証人は、「男の人と女の人は(四番線側)ベンチの前ぐらいに居たと思う。男の人が(四番線)ホームを斜め後ろに背負つて私の方に背を向け、その右頬が見えた。女の人は私の大体正面に見え、私の方に顔を向けていた。その間隔はかなりひつついていたような気がしていて、一メートルまでもなかつたのではないかと思う。それから女の人が、あんたなんか死んでしまえばいい、とかなんとか言つて大体同時に男の人を突き飛ばした。両手でもつて肩のあたりか胸の上の方をかなりきつく押した。両手を前に出し手のひらを拡げてその両腕を前に押し出した。私が見た瞬間に押して行くところを見、押して行く状態が続けざまに起こつた。私と真向いに向いているときに女の人が押したが、女の人は移動していない。押した瞬間の後の女の人の恰好は中腰位だつた。男の人は押されて一、二歩たたらを踏んで(千葉寄りに)斜め後ろの方に、両手を背泳ぎのような恰好で後退してホームから落ちた。男の人は女の人と(千葉向きに)斜めの状態に向かい合つていて、その方向のまま動いた。」旨述べると共に、被告人の押したという位置として、四番線側ベンチのうちの東京に近い部分の前で線路際との間のところを図示しており、また(7)同じ売店の東京寄り四、五メートルの四番線ホームに居たG証人は、「男の人は三番線側ベンチに坐り、女の人はその前あたり一メートル位のところに立つて顔を向き合つていた。スピーカーから四番線に電車が入るというアナウンスがあつて、男の人は立ち上がり、もう相手にしていられない、というような趣旨のことを言つて、四番線ホームの方に歩き出した。女の人はしばらくベンチの前の同じ位置にいたと思う。男の人が歩き出して間もなく、女の人は男の人のそばに駆け寄つて行き、(四番線側)ベンチと四番線ホームとの間の、しかも少し千葉寄りのところで、東京寄りに斜め左前にいる男の人の背中のあたりを後ろから両手で突いた。男の人は後ろから突かれて後ろの方を振り向いて、女の人とほぼ向き合つた。女の人は押した地点でじつと立つていたわけではなく、その後更に男の人が押されて行く方向(東京寄りに斜め左前の方向)に駆けて近寄つて行つた。そこで男の人が四番線ホームを背に、女の人がその左前の位置で向かい合つた。女の人は向かい合つた男の人に対して更にもう一度右の肩か右の乳の上あたりを両手で突いた。力が入つているように見えた。どちらかの足を前の方に一歩出し、そして腰に力を入れるような感じで両手を男の人の方にかなり強い勢いで突いた。女の人は駆け寄つてから突いて男の人をホームの下に突き落すまで何か叫んでいた。男の人は始めに突かれた時点で大分体のバランスを失い、振り返つた時点で体のバランスを失つているように見えた。そして次に強く突かれた時点では、体のバランスをかなりもうそれ以上に失つて、線路の方に後ろに倒れ込むようにして落ちた。女の人が三番線側のベンチの前の方で男の人の胸のあたりを両手で突くようなことをして、男の人が押された反動で一メートル位後ろの方に下がつたのを覚えている。」旨述べ、かつ女の人が男の人の方に駆け寄つて行つて最初に男の人を突いたのはベンチ脇の灰皿から四番線の線路際に寄つた地点、その後男の人が振り向いたとき二人の居たところは四番線側ベンチのうちの千葉に近い部分から四番線の線路際の方に寄つた地点、そして女の人が二回目に男の人を突いた地点は四番線側ベンチの中央部分と四番線の線路際との間あたりである旨を図で示していて、F、G両証人のいずれも被告人が甲野を突いた地点(G証言では二回目に押した地点)は四番線側ベンチと四番線の線路際との間の部分である趣旨の証言をしているところ、これらは検察官が前示冒頭陳述において、「四番線ホームの端から約一・五メートルないし約二メートルの位置に至つていた被害者が被告人の方を振り返つた。被告人はベンチの千葉寄り斜め前付近で被害者に近寄り、一歩前に踏み出すようにしながら同人の右肩付近を両手で強く押した」というのに沿う内容のものであるが、前示のA、B、C、D、Eの各証言内容と齟齬していて、以上を対比してみると、右A、Bの各証人は、四番線側ベンチに腰掛け或はその前に立つていて被告人らの動きを見ていた状況の中で、A証人は、「(四番線側)ベンチの前の方(線路際との間)で女の人が男の人を押したことはない」と証言し、またB証人も、「(四番線側のベンチの前に立つていた)私のすぐ前後で男の人が押されたということはない」とさえ供述しているところであり、かつ右各証人がいずれも被告人らの動きをその近くで、しかも被告人の押した位置をベンチとの相互関係において認識していたものとみられること、更に、A証人の証言によれば、当時四番線ベンチの千葉寄りにある柱の付近に表示された乗車口のあたりには客が六人位の二列になつて並んでいるなどの状況にあつたことが窺われ、従つてF、Gの各証人共に、これらの客の間隙を通して被告人らの動きをみていたと思われるのに徴すると、被告人らの動きをその位置と関係づける形で正確に把握できたか否かについては疑問の存するところであつて、F、Gの右各証言のうちの位置に関して述べる部分はいずれもたやすく措信できないものといわざるを得ない。(なおG証言のその余の部分の信用性については後に更に検討して行くこととする。)

次に、以上の各証言によつて被告人が甲野を突いたときの状況につき検討するに、前示(6)F、(3)C、(4)Dの各証人は、被告人と甲野が向かい会う形であつたといい、(8)右ベンチから東京寄りで、(司法警察員作成の昭和六一年一月七日付実況見分調書によれば)約四四・一五メートル離れた地点において目撃していたH証人は、「言葉は聞きとれないが、男の人が冗談で抱きつくというか、そういう感じで、それに対して女の人が、よしてよ、という感じで、どちらの手かわからないが手を振り払う感じだつた。男の人が女の人に抱きつくような恰好をしたとき、男の人は東西線ホームの側(四番線側)に背を向けていた。そのときの女の人の向きは柱と人の陰になつていて、はつきり覚えていない。男の人の抱きついた形は両手を前に出して、そのまま女の人の体を抱く形になつた。女の人が横に払つたのは突き飛ばすとかそういうのではない、ただ手を振り払う感じで、その後男の人が後退し始め、線路上に落ちて行つた。」旨証言していて、同証人も被告人と甲野が向かい合う形であつた趣旨をいい、前示(7)のG証人は、ほぼ向き合つていたと述べ、同じく(1)のA証人は、ベンチの東京寄りの方に向かつて被告人は右肩を開き、甲野は左肩を開いた形で相対していた旨証言し、しかもこれらいずれの証人も、甲野は押されたとき四番線の線路際の方に背中を後ろないしは斜めに向けていた趣旨で供述しており、またG証人を除いては右の如く向き合う形になつた際、被告人と甲野は共に立ち止まつている状況にあつた旨述べているのによれば、被告人が甲野を突いたとき、両者は立ち止まつて向き合う状態にあつたものと認めることができる。もつともG証人は、前示(7)の如く、三番線側ベンチのところに居た被告人が、それまで被告人の付近に居てその後四番線ホームの方に歩き始めた甲野のそばに駆け寄つて行つて、甲野の背のあたりを後ろから突き、押されて行く甲野の方に更に駆けて近寄つて甲野が振り向きほぼ向き合つたところで、もう一度甲野を突いた旨述べているが、被告人が(G証言のいう二回目に)甲野を突いたとみられる地点が、前叙の如く四番線側ベンチの千葉寄り付近ないし右ベンチと千葉寄りにある柱との間のあたりであると認められ、しかも司法警察員作成の昭和六一年一二月二六日付実況見分調書によれば、三、四番線各側のベンチの両奥行を合わせても約一・〇八五メートルに過ぎず、これから考えられる三番線側ベンチの付近から四番線側ベンチの千葉寄りのあたりまでの距離に照らすと、それまで三番線側ベンチのところに居た被告人がG証人のいう如き甲野を追いかける形で近寄つて行つて前示の地点で二回目に甲野を突くに至るまでの動きをしたとの状況を容れるほどの距離がその間にあつたとは首肯し難く、また甲野が被告人のそばから離れた後、G証人のいう一回目に被告人が甲野を突くまでの間に甲野の動いた距離についても、甲野はその頃酒酔いのためにふらつく状態にあつたことが窺われ、咄嗟の間にG証人のいう如き、女の人が男の人のそばに駆け寄つて行つた、という行動に出る程の距離が生じたとはたやすくみられないこと、かつ前叙したように同証人が乗降口付近に居た客の間隙を通して目撃する状況にあつたこと、更に同証人が目撃した際に居た位置は、四番線ホームの千葉寄りの地点であり、同証人は、同地点から四番線側ベンチの線路寄りと同線路際との間のホーム上で被告人が甲野に前示の如き行動に出、突かれた甲野が後ずさりして線路上に落ちたのを見た、というのであるが、右証言によれば、被告人が甲野を突いた際の動きはベンチの線路寄り部分と線路際との間のものとなり、従つて同証人の位置からでは左右の拡がりの少ない範囲で目撃したことになるところから考えると、この間の被告人の動きが、果して同証人の供述する如き甲野を二度目に突く前に甲野の方に駆けて近寄つて行つたというような幅のあるものとして映じる行動であつたか否かにつき疑問の存するところでもあること、以上に徴すれば、G証人の右の供述内容に整合性があるとはいい難く、加えて同証人は、本件について被告人が甲野に絡まれ、それを振り払おうとして甲野を線路上に落した旨報道されたのが、同証人の目撃した状況と異なるものと考え、自ら目撃者として申し出たものであるが、甲野が線路上に落ちるときの状態を証言するに際して、「前のめりに飛び込むような恰好で落ちたと検事には述べたが、それは、まず男の人の顔が私に少し見えたし、それに倒れ込む形が余りにも水泳の飛び込みのようなきれいな感じで落ちて行つたので、そのように思い込んでしまつたようである。その後深く考えてみると、その前に男の人が(女の人と)向き合つていたし、それに押したときに男の人の胸か肩のあたりを押したということもあるし、男の人は後方に倒れ込むような感じで落ちたということが分つたものだから、最初の方は間違えたということで改めて証言し直した」旨を供述していることがあり、このようにG証人は、当時目撃したところをそのままに述べるというよりも、その後種々考えたところも混えて、こうではなかつたかということで供述している節も窺われるところ、被告人と甲野のかかわりの状況についての証言に際しても、前示の報道内容に反発する心情のあつたのは否めないともみられ、これらをあれこれ考えると、被告人が甲野を突くに当つて同人の方に駆けて近寄つて行つた旨のG証人の証言部分について、そのいう如き状況があつたものというには躊躇せざるを得ず、右部分はにわかに信用することのできないところである。

更に、被告人が甲野を突くに至つた際の被告人と甲野のかかわりの状況について、前示の如く、(7)のG証人は、被告人が折り曲げた肘をのばす形で両手を前に出して突いた、といい、(6)のF証人は、被告人が手のひらを拡げ両手を前に出す形で押した、といい、(1)のA証人も、被告人が一歩踏み出すという状態で、右手は甲野の右肩の前に行き、左手はそれに添うような感じで、両手で押した、と述べているのによれば、このときの被告人と甲野との間隔は、A証人が五〇センチとは離れていなかつた旨証言していることにもあらわれているように、手を伸ばせば十分に届き得るほどに近接していたとみられ、しかもその際両者は前叙の如く立ち止まつて向かい合う状態にあつたのであるから、従つて被告人と甲野は対峙する形で向き合つていたものといわざるを得ない。そして前示(8)の証人Hが、「男の人が両手を前に出してそのまま女の人の体を抱く形になつた。女の人が、よしてよ、という感じで、どちらの手かわからないが、手を振り払う感じだつた。その直後男の人が後退し始め、線路上に落ちた。」旨証言するところをみるに、同証人の目撃した際の位置がかなり離れていたが故に、被告人と甲野のかかわりの状況について同証人には大まかにしか映じなかつたと思われ、右の証言内容もそのような趣旨のものではあるが、しかし両者の状態が右のような形のものとして同証人にとらえられたこと自体はたやすく否定できないものであつて、検察官が右について、距離を隔てての目撃であるとして信用できない旨いうところは、右の証言の内容に照らして一概にそのように断定し得るものではなく、右証言内容は、前示対峙した状態の中での両者の動きを目撃し、その状況を目撃したままに、その限りにおいて述べているものということができ、またB証人が前示(2)の如く、「男の人が、やつてられないよ、と言つて、一、二歩左斜め前の方に歩き始めた。それに対して女の人が何か言い返した。男の人が言い返されたあとまた女の人の方に向かつて行つた。そして男の人が右腕の肘から下のあたりを女の人のやや左後ろの首筋から一寸上あたりと思うが、そのあたりにやつているのが見えた。男の人が手をかけて、女の人は体がよろけ、確か前のめりになつて一歩とか半歩位は動いたと思う。それから二人が少し離れたと思う。そのあと女の人が男の人を押したと思うが、押した瞬間は見ていない。」と証言して、被告人が甲野を押すに先き立ち、甲野が被告人に言い返されてまた被告人の方に向かつて行き、被告人の左首筋のあたりに右手をやつている状態になつているのが見えた旨を述べ、しかも同証人は、甲野が右の如く被告人の左首筋のあたりに右手をやつていたときの甲野の位置を、四番線側ベンチとその千葉寄りにある柱との間であるとして証言をしているのであるから、甲野が右の動きに出たのは、それ以前にベンチの千葉寄りの灰皿の向う側(三番線側)付近に居た同人が四番線側ベンチとその千葉寄りにある柱との間のあたりまで移動して来た後のことであり、その際の甲野の右の動きをB証人は目撃したとみられるのに徴すると、B証人の右証言部分も両者が前示の対峙する形に至つた経過及びその中での両者のかかわり合いの状況を明らかにしているものということができる。

ここで遡つて、被告人が甲野を突くに至るまでの一連の状況についてみるに、証人Fは、「ホーム千葉寄りの階段の中程から一寸下のあたりで男女が何かもつれるような恰好で、立つていたような気がして、みると、女の人が、何すんの、あんたなんか知らないわよ、と言い、ホームに下りて来た。そして女の人が男の人を左肘か何かで払つたような感じだつた。売店の横を通つて売店の向こうの方に行き、それを男の人が後を小走りに追いかけて行つた。そのとき男の人が、馬鹿女とか何とか言う声がして、周りにいた人達がゲラゲラと笑つた。それに対して、何さ、あんた達笑つてないで助けてくれたらいいじやない、という女の人の声がした。それで私は、売店の近くまで行つた。」旨述べ、その後の状況については前示(6)の如く証言し、証人Gは、「男の人が女の人に対して何か片手をあげて頭のあたりを殴るような仕草をして、それが当つたと思う。その後女の人が先に歩いて行き、男の人が少し後をついて行くような感じで、三番線ホームのベンチの前あたりまで移動した。ベンチの前で、男の人が女の人の顔のあたりを叩こうとしたり、女の人に背を向けて右か左の足を後ろの方に蹴り上げて女の人を蹴ろうとしたりした。女の人はそれに対して男の人の体を叩いた。男の人は三番線側ベンチに坐り、女の人はその前一メートル位のところに立つて顔を向き合つていた。」旨証言し、その後の経過については前示(7)の如く述べており、A証人は、「ベンチの背の向こうから男の声で、テレビに出るような髪をしやがつて、というのを聞き、それに対して女の声で、あんたに関係ない、私の勝手でしよう、と言つた。男の人が右手をその体から横の方に離すような形で出し、それが右側にいた女の人の左肩か左腕あたりに当つたと思う。女の人が、何よ、という感じで払うようにして、それが男の人の出した右腕に当つた。女の人がほかの乗客に向かつて、にやにやしていないで何か言つたらどうなの、と言い、また、絡まないでよ、という言葉も聞いた。四番線に電車が入るとの案内放送があつて、男の人が女の人に、この馬鹿女が、と言つて、四番線ホームの方に歩いて行つた。」旨供述し、その後の経過については前示(1)の如く証言している。証人Bは、「売店からベンチ付近にかけて、男の人が、この若造が、といい、女の人が、あんたなんかに関係ないでしよう、というような争いが何回かあつて、私の斜め右前のあたりで立ち止まり、何か言い合つていた。女の人が周りの乗客に向かつて、笑つてないで助けてよ、と言う意味のことを言つた。ベンチの脇で男の人が、この若造がとか、やるのかやらないのか言い、女の人が、あんたなんかに関係ないでしよう、いいかげんにしてよ、と言つていた。男の人が、やつてられないよ、と言つて左斜め前の方に歩きかけた。それに対して女の人が言い返し、男の人が言い返されたあと、また女の人の方に向かつて行つた。そのすぐあと男の人が女の人に手をかけた。」旨供述し、その後の経過については前示(2)の如く述べている。そのほか、(9)四番線側ベンチの東京の方の端に腰掛けていたI証人も、「女の人が男の人に向かつて、笑つてないで止めなよ、と言つた。その後男の人が女の人の肩を押して女の人も押し返すということが三回位あつた。女の人が、もういいかげんにしてよ、と言い、男の人が、お前みたいな女がなんだかんだ、と言つていた。」旨述べ、E証人も、「女の人が三番線ベンチの方にすたすたと歩いて来て、その脇に絡みつくように男の人がふらふらついて来た。女の人はただ振り切るように真直ぐに歩いて来た。東京の方に向いて男の人がポケットに手を入れたまま女の人の前に出て片方の足を後ろに蹴り出しているのを見た。男の人が絡んでいて、女の人は周りの人に、見てないで止めたらどうなの、ということを言つていたが、周りの人は止めなかつた。」と証言しており、これらの証言のほか、被告人が検察官に対する昭和六一年一月三一日付供述調書において、「階段の手すりの少し右側を下りて来たところ、私の後ろから誰かがいきなり私の背中にドスンとぶつかつて来た。そのときの感じでは私の後ろから階段を下りて来た誰かがその胸辺りを私の背中の肩寄りの部分にぶつけてきたように思つた。後ろからぶつけられたため、少し前によろけて階段からころがり落ちそうになり、思わず紙袋をぶらさげていた左手の肘付近を左側の手すりに押し当てて体を支えた。」と供述していることをもあわせれば、被告人は、階段を下りて来た際に甲野と言い合うことがあつたものの、同人を振り切る形で東京方面に歩いて行つたが、その間引き続き甲野につきまとわれて、馬鹿女といわれたり、また手で小突かれ、或は足蹴りをかけられたりし、これに対して被告人が手で払いのけたり、言い返したり、絡まないでよ、と言つたりすると、また甲野から絡まれるということを繰り返すなかで、これを見ていたホーム上の周りの客が笑うので、被告人はその客らに向かつて、笑つていないで助けてくれるように頼んだものの、これに誰からも応じて貰えずに経過するうち、電車が入るという案内放送があつた頃、四番線ホームの方に行くような感じであつた甲野が、その後において前叙の如き被告人と立ち止まつて向き合う形に至つたものと認められる。そして甲野が被告人に絡み始めた階段付近から本件所為のあつたベンチのあたりまでの距離は、前示したところによれば三〇数メートルであり、被告人はこの間を甲野につきまとわれながら歩いて行つたことになる。

右の経過をも踏まえたうえで、被告人が甲野を突くに至つた事情を考えてみると、被告人が、それまで甲野につきまとわれ、その間に小突かれたり足蹴にされそうになつたりし、また馬鹿女などといわれて執拗に絡まれたのに対して、時には無視する態度をとり、或は手で払いのけ、時には叩き返し、また言い返すなどしていたものの、被告人自らの方から甲野に対して積極的な行動に出た形跡は窺えないにも拘らず、前示(1)のA証人が、「男の人が女の人に向かつて、この馬鹿女が、と言い、四番線の方に歩いて行つた。女の人は、馬鹿女という男の人の言葉にショックを受けたみたいで、その後、女の人が、死んでしまえばいい、というのを聞いてその方を見ると、女の人が男の人の右肩を丁度とらえた位だつた。」旨、また(4)のD証人が、「男の人が女の人に対してこの世に生きる価値がないというような趣旨のことを言つた。それから時間も余りたつていなかつたと思うが、女の人が男の人に向かつて右肩のあたりを押した。」旨の各証言にみられる如き、甲野が被告人に対して馬鹿女などと言つたことのみで、ほかになんら格別の事情もないままに被告人が甲野を突く所為に出たというのは、前叙したそれまでの一連の経過に鑑み、にわかに首肯し難く、被告人が甲野を突くに至つた経過の中には、甲野が被告人に対してそれまで以上の絡み方をした状況の介在をあながち否定できないものといわざるを得ない。この点につき検察官は冒頭陳述において、被告人がそれまで甲野に付きまとわれて馬鹿呼ばわりされたうえ、最後に後頭部を小突かれて激昂した旨の事情を挙げるけれども、すでに三番線側ベンチ付近の被告人のそばから離れ、四番線ホームの端から検察官のいうところに従えば約一・五メートルないし約二メートルの位置に至つていた甲野を、被告人が追いかけ近寄つて行つてまでして突くに至つたという、その主張する如き経緯は、右に至るまでの前叙の一連の経過と対比してみるとき、その間に飛躍の感のあるのを免れないところである。

然るところ、前示の各証言中、被告人が甲野を突いたその直前と思われる頃の状況についての前示(2)B、(3)Hの各証言内容が、いずれもこの間の事情を明らかにするものであるとみられることは前叙したとおりであり、これに加えて、前示(7)の如くG証人が、「女の人が男の人の背中のあたりを後ろから両手で突いた。男の人は後ろから突かれて後ろの方を振り向いて女の人とほぼ向き合つた。女の人は向かい合つた男の人に対して更にもう一度右の肩か右の乳の上あたりを両手で突いた。」旨証言していて、被告人が甲野を突くに先き立つて、これとは別に同人を突いたことのある趣旨を述べているほか、C証人も前示(3)の如く、「男の人が、右か左かわからないが、曲げた肘をのばしながら女の人の肩のあたりを軽く叩いたと思う。女の人は結構強めで男の人の上半身を叩き返した。女の人に叩かれて男の人は二、三歩後ずさりし、そのあと女の人に向かつて、馬鹿女、と言つた。馬鹿女といわれて女の人が正確ではないが、あんたなんかホームに落してやる、というような言葉を言つて、男の人を突き飛ばした。」旨述べ、被告人が甲野に叩かれたのに対して甲野を叩き返し、甲野が二、三歩後ずさりした後被告人の方に向き合つて、馬鹿女、といつたのを、被告人がこれに言い返してもう一度突いた趣旨にとれる証言をしていること、更にE証人が前示(5)のように、「四番線側ベンチの方に行つた男の人がまた戻つて来て、それから(柱のそばに立つている)私の横を通り抜けて三番線の方を向いた形で四番線ホームの方に後ずさりした。」旨証言し、前示(9)のI証人は、「ベンチの千葉寄りの柱の方から声がして振り向くと、男女が言い合つており、女の人が離れて喧嘩が終つたような雰囲気になると、男の人が追いかけ、これに対して女の人がまた言い返す、ということを繰り返していた。その後男の人は、私が横から見て真横ではなく、四番線側ベンチの一メートルか二メートルか四番線ホーム側に出て来た。それで女の人も何も言わなかつたし、もうそれで終つたと思い、今度は自分が絡まれても嫌なので、下を見て男の人の方を見ないようにしていた。それから女の人の声が聞えて、また始まつたのかな、といつた感じで顔を上げると、四番線側ベンチの千葉寄りやや斜め前のあたりを男の人がよたよたとして、それから線路上に落ちた。」旨述べているところ、これらの証言内容も前示の事情が如何なるものであつたかを窺い知らせるものであつて、以上のB、H各証言及びその余の各証人の供述するところを綜合して考えると、被告人が甲野を突いたその以前に甲野に叩かれて同人を叩き、その後被告人の方に向いた甲野に被告人が抱きつくような感じにされ、或はやや左後ろの首筋から一寸上あたりに同人の右肘から下のあたりが行つていたこと、すなわち、甲野に手で胸から首筋のあたりをつかまれる状態になつたことがあつたものとみることができる。右は、検察官が冒頭陳述において、被告人が甲野から後頭部を小突かれたのに激昂して甲野を追いかけ、甲野に近寄つて同人を押し、同人が線路に落ちた、というところの経過とは異なる内容のものであるが、他方、被告人が、甲野を突くに至つた経過について、前示したように、甲野に背後から後頭部を手で押され、同人から更に何をされるかわからないと思い、同人を遠ざけるために突いたところ、同人に襟をつかまれた旨供述するところにおおむね沿うものである。しかも、被告人が甲野を突いたという状況を目撃している証人のうち、被告人が甲野の押されて行く方向に駆けて近寄つて行つて突いた旨のG証人の供述部分がその経過をそのままに明らかにしているとみられないことは前叙のとおりであり、ほかに前示各証言中、甲野が被告人を叩き、それに対して被告人が叩いたことから甲野が被告人の方に戻つて来る形となつて被告人と向き合い、五〇センチとは離れていない近接した間隔にある被告人の胸から首筋のあたりを手でつかむという状態になる所為に出たと認めるに妨げとなるような部分は見出せない。

なお付言するに、A証人は、甲野が、馬鹿女、と言つたのに対し、被告人が馬鹿女といわれたことにショックを受けたみたいで、甲野を押した旨証言するが、被告人が、すでに右時点に至るまでの間に、(F証人の証言によつても明らかなように)甲野から馬鹿女などといわれていたことがあるにとどまらず、それ以上に手出しされたことなどを含め、執拗に絡まれていながら、これに対して被告人自らの方からの積極的な行動に出た形跡が窺えないのに、右A証人の証言に現われているような状況のもとで被告人が甲野を突く所為に出たというのは、たやすく首肯し難いこと前叙のとおりであつて、検察官が右証言をもつて、被告人が被害者の捨てぜりふに憤激し、被害者に向かつて行つて積極的かつ一方的に加害行為に及んだ旨の証左であるというのには多大の疑問が存するところであるうえ、同証人はベンチから左向きにベンチの背もたれ或はその上の看板、また左側に居る者らの間隙を通して目撃していたもので、その目撃が被告人と甲野のかかわりのすべてにわたつていないことは同証人自身の述べるところであり、同証人は、死んでしまえばいいという声が聞こえて振り向いたとき、被告人が甲野を押す前につかむその時点だつたと証言しているのであるから、A証人は被告人が右のような行動に出るに至つた直前の経過についてまでは目撃していないことが指摘されなければならず、またB証人は、甲野が被告人に手をかけ、被告人の体がよろけて被告人は一歩か半歩位動き、それから二人が少し離れたと思う、という状況に次いで、甲野が後ずさりするような感じで動き出し線路上に落ちた、との状況を目撃しているものの、同証人が見たとき甲野はもう動いており、被告人が甲野を押したと思うが押した瞬間は見ていないとの趣旨で証言し、かつ甲野が被告人に右腕を出した後の時点で二人が少し離れたことがあるようにいう部分も、被告人が甲野に手をかけられた後体がよろけて動いたのが一歩か半歩位であり、それで離れたと思うというのであるから、被告人と甲野の間隔がそれ以前よりも際立つて離れたとまでいう程の状況ではない趣旨で証言しているとみられ、同証人が、その後、あんたなんか電車にひかれて死んだらいいという意味のことを女の人が言つているのが聞こえてその方を見たら(B証人は右のその後というのを四、五秒後だと述べている)、甲野が後ずさりするような感じで動いていたのが目に入つた、というのであるから、B証人が前示のように、両者が少し離れたと思う旨の証言をしているとはいえ、甲野が後ずさりするような感じで動き出したのが、その前に同証人の目撃したときと全く異なつた両者の位置関係、すなわち検察官が立証しようとしている如き、両者がいつたん離れた後に被告人が甲野の方にあらためて近寄つて行つて突いたというような動きがあつたことによるものであるとの事情は、同証人の証言からは窺えないところであつて、右A、B各証人がいずれもベンチに腰掛け或はその前に立つていて、被告人らの動きを比較的近い距離で目撃していることなどから、各証言の信用性は高いものということができるとしても、それは目撃し得た範囲について言い得ることで、被告人と甲野のかかわりの状況の如き短い時間内に次々と変化して行つたと思われる経過を逐一目撃したというのではないなかでの証言であることを考え、右証言内容をみるに当つては、他の者らの証言をも踏まえてその意味が検討されなければならないところである。

以上、当時ホーム上に居た乗客らの各証言によつて逐次検討して来たところの、被告人が甲野を突いたホーム上の位置、その際の被告人と甲野のかかわりの状態、右状態の中で被告人が甲野を突くに至つた経緯のほか、被告人が階段を下りて来ていた時点以後の一連の状況に徴すれば、電車が四番線に入るとの案内放送があつた頃、四番線ホームの方に行く感じになつていた甲野が被告人を叩き、それに対して被告人が甲野を突いたことから、被告人は、ベンチの千葉寄り付近ないし右ベンチと千葉寄りにある柱との間のあたりにおいて、被告人の方に引き返す形の甲野と五〇センチとは離れていないくらいの間隔で、かつ互に立ち止まつて向かい合う状態になり、その際、それまでに被告人は甲野に絡まれ続け、手出しを受けたほか、馬鹿女などといわれて来たうえに、更に向き合つた甲野から胸から首筋のあたりを手でつかまれるという状態に至つて、甲野を自らの力で我が身から離そうとし、右手に左手を添える形で、同人の右肩付近に手のひらを拡げて突き出して、同人を突いたものと認められる。

しかも右当時の状況のもとにおいて、被告人が甲野から右の如く胸から首筋のあたりを手でつかまれる状態になるという更に強い絡みを受け、これからのがれるための手立てとして同人を両手で突く所為に出たことは、自制心を欠いたかの如き酒酔いの者にいわれもなくふらふらと近寄られ、更には手をかけられたときに生じる気味の悪さ、嫌らしさ、どのようなことをされるかも知れないという不安ないしは恐怖にも通じる気持が日常生活上において経験し理解され得るところであることをもあわせ考えると、差し迫つた危害に対するやむを得ない行為であつたといわなければならず、またその態様も、前叙の如く被告人に手をかける状態になつている甲野に対し、これを離させるため、曲げた両腕を前にのばし、その際右手に左手を添える形で、手のひらで突いたというもので、A証人が、一歩踏み出すような感じで両手を前に出した旨供述するところがあるものの、つかんでいる相手方を離すという所為としてみるとき、女性にとつて相応の形態で、かつ通常とられる手立てとして首肯し得る態様のものであり、しかもつかんでいる甲野を離すため一回突いたにとどまつていること、前叙したようにベンチの背合わせ付近から四番線ホームの線路際までは三メートル前後の間隔が存していること、突いた力も、B証人が、「私も最初は落ちるとは思わなかつた、距離もあるし、そのときの勢いとか最初の勢いとかその辺を瞬間的に思つたのだと思う」と述べているほか、甲野が線路上に落ちるまでの状況について、前示(1)のA証人は、「押されて後ろに下がるような感じで、その間にバランスをとろうとして、おつとつと、という感じで落ちて行くように見えた」旨述べ、同じく(4)のD証人は、「男の人は押されてよろめきかかるようにして私達が坐つているベンチの前の方まで来て、それから落ちた」旨供述し、同じく(5)のE証人も、「四番線側ベンチの角あたりまでは割にゆつくりというより少し早めに後ずさり、その後はふうらふらして三歩位してホームから落ちた」旨述べており、これらの目撃状況から考えると、被告人が甲野を突いた力は、同人をその場に突き倒すほどの強いものでなかつたことが明らかであるばかりでなく、甲野が当時酔つていて足もとのふらつく状態にありながら、被告人に突かれたことによつて体のバランスをある程度失うことになつたものの、その付近において倒れるまでに至ることなく、ホームの線路際まで三メートル前後の間を、しかも斜めの方向で後ずさりして行つているのに徴すれば、A証人が、踏んばるように力をこめるみたいな感じで一歩踏み込んだ状態で押した旨いい、F証人が、かなりきつく押した旨述べ、G証人が、足を前の方に一歩出し腰に力を入れるような感じでかなり強い勢いで突いた旨いうところも、その言葉どおりの強い力であつたことの証左であるとはたやすくいえないこと、また被告人の検察官に対する昭和六一年一月二九日付供述調書によれば、被告人は身長約一六七センチ、体重約六五・六キログラムで、他方甲野は、司法警察員作成の死体解剖鑑定立会結果報告書に明らかなように身長約一六五・五センチ、体重約五六キログラムであるところ、甲野花子の検察官に対する供述調書によれば、夫の一郎は日本体育大学を卒業した後、本件当時高等学校で体育の教諭として勤務していた者であり、これに対して被告人は四〇歳になろうとする女性であつて、必ずしも被告人が体力的に優つているとはいえないうえ、技術吏員横川俊一作成の甲野一郎の血液についての検査結果報告書によれば、甲野は血液一ミリリットル中に二・五ミリグラムのアルコールを含有して、かなり高度の酒酔いとみられる状態にあつたものの、前叙した一連の経過によると、甲野が酒に酔つている者によく見られるところの、自制心が働かず、その行動が制御されずに相手方に立ち向かうような状況にあつたことが看取され、従つてそのような甲野から離れるためには被告人なりに力を入れて突く必要があつたとみられること、これらの諸事情に照らせば、被告人の甲野を突いた所為が被告人自身から甲野を離すに必要にして相応な程度を越えていたとは到底いえないところである。

そしてこれまでに検討して来たところに鑑みれば、被告人が、勾留中に作成された検察官に対する供述調書及び公判廷を通じて供述する前示の内容は、判示して来た一連の状況におおむね符合するもので、そのうえ右内容自体、自ら甲野を二回にわたつて突いたことをも含めて自己の対応の状況を逐一述べ、その間に取調の検察官に対しては、甲野及びその家族に申訳ない気持でいる旨を吐露し、更に公判廷での被告人質問に際しては、私も自分が押さなければああいうことにならなかつたのではないかと思うと述べていることにもあらわれているように、全体として殊更自己の責任を強いて回避しようとしたり、或は事情を曲げて供述していると窺われるような部分はみられず、作為的で疑問があるというものではないのに照らして、大筋においては信用できるものといわざるを得ないところであり、殊に被告人が甲野にコートの胸元あたり或はコートの襟を両手でつかまれた旨供述する部分は、その供述部分の前後をもあわせてみるとき、これが前示の各目撃証人によつて明らかにされた一連の経過と齟齬するものといえるものではなく、また検察官が論告において強調する如き、被告人の右供述を裏付ける証拠は全く存在しないというようなものでは決してないことも前叙したとおりであつて、被告人の右供述部分を無下に排斥できるものではない。

もつとも、被告人の言動として、F証人は、あんたなんか死んでしまえばいいとか何とか言つて大体同時位に男の人を突き飛ばした旨証言し、A証人は、死んでしまえばいいということを言いながら男の人の右肩を強く押した旨供述し、B証人は、恐らく男の人が動き出した頃女の人が、あんたなんか電車にひかれて死んだらいい、という意味のことを言つていた旨述べているが、その言葉の具体的内容については必ずしも確定できないものが存するうえ、更に右のように被告人が言つたというのは、前叙の如き被告人が甲野に執拗に絡まれ、小突かれたり足蹴にされようとしたり、この若造がとか、馬鹿女とか、更にはやるのかやらないのかとか言われたりした挙句の経過の中のものであり、被告人が甲野を突く所為に出る直前にも、A証言によれば、女の人は馬鹿女という男の人の言葉にショックを受けたみたいだということがあり、D証人の証言によつても、男の人が女の人に対してこの世に生きる価値がないというような趣旨のことを言つたということのあるほか、右当時四番線に電車が入るという案内放送があつたものの、各証人らはいずれもベンチから立ち上がるなどの電車の到来に対応する動きを示すまでに至つておらず、またF、A、D、Iの各証人の証言によれば、甲野は線路上に落ちた後起き上がり、ホームの上からは、あつち(五番線の線路の方)へ行け、という声があつたが、四番線ホームの方に寄つて来てホーム上にはい上がろうとし、これに対して甲野の転落したのを見たI、Dの各証人が甲野の手をつかみ、更に売店の近くに居たF証人もその場に駆け寄つて行つて手伝い、三人して甲野をホームの上に助け上げようとして胸から腹の付近まで引張り上げたところに千葉方向から電車が入つて来た、という状況にあつて、被告人が電車進入の直前であると意識して甲野を突く所為に出たとまではいえないこと、そのほか前叙の如き被告人が甲野を突いた態様及びその力の程度、突いた地点から四番線ホームの線路際までの距離などをあわせ考えると、右の被告人の言葉をもつて、被告人が一方的かつ積極的な害意をもつて甲野を突いた証左であるとまでいうことはできないものであり、右の被告人の言は、それまで甲野から種々な態様で執拗に絡まれて来たうえに、なおも馬鹿女とかの人格を否定する趣旨の言葉を浴びせられ、更には突然後方から後頭部を押されるまでされたことに対する立腹の情から出たものとみられるところである。そして被告人が甲野を突いた所為には右の心情から出た側面が存するとはいえ、この故をもつて前叙の状況のもとにおける被告人の所為につき、防衛のためになされたものであること及びやむを得ないものであつたこと自体を左右し得る事情があるとまでいうこともできない。(右のほかC証人は、被告人があんたなんかホームに落してやると言つたかの証言をしているが、これとあわせて、右の言葉の内容は正確でなく大体そんなような言葉が聞こえたとも述べており、同証人の腰掛けていたベンチから被告人らの居た地点までの距離をも考えるとき、C証人の耳にしたという内容が前示各証人の聞いたところ以上の強い調子のものであつたとは認められない。)

これら各証言によつて認められる一連の経過及び大筋においてこれに符合する被告人の前示各供述内容を合わせて、被告人が甲野を突いた状況を綜合的に検討すると、被告人は、三番線側ベンチ前の千葉寄り付近に居たところ、左斜め後ろあたりに居た甲野に背後から後頭部を突かれて前のめりになつた際、それまでに、階段からホームに下りて以降、同人に執拗に絡まれ、小突かれたり、足蹴にされそうになつたり、また馬鹿女とかの侮辱的言葉をいわれたりして、それに対し、時には無視する態度をとり、時には言い返し或は甲野の手を払うなどして来たうえ、周りの者らに甲野を制止して貰おうと助けを求めても、笑うなどするのみで誰一人として応じてくれる者もいなかつた中で、前示のようにこれまでにも増して後頭部を突かれるという仕打ちを受けたことに対し、むかつとすると共に、このままではこのうえ何をされるかわからないとの思いから、甲野を遠ざけようとして、両手に提げている紙袋をそばの三番線側ベンチの上に置き、近くに居た同人を手で突いたところ、甲野は四番線ホームの方に行く感じになつていたのが、突かれてよろけた後、被告人の方に戻る形となつて被告人と向き合い、被告人の着ていたコートの襟のあたりを手でつかんで離そうとせず、これに対し被告人が離してくれるように言つて甲野ともみ合ううち、四番線側ベンチの千葉寄り付近ないし右ベンチとその千葉寄りにある柱との間のあたりにおいて、甲野につかまれたまま、このうえどのような危害を加えられるかも知れないと考えた被告人は、同人を我が身から離して目前の危難からのがれようとし、かつそれまで執拗に絡んで来た同人に対する立腹の情も加わつて、曲げた両腕を、右手に左手を添える形で、手のひらを拡げ、前に突き出して、甲野の右肩のあたりを突き、その勢いで甲野は被告人から離されて後ずさりし始めたものと認められるところである。そして右にみられるような差し迫つた状況に置かれた被告人にとつて、執拗に絡んでくる甲野から自らの力でのがれようとして同人を突いたことにやむを得ざるものがあつたうえ、その方法も相当なものであつたことにつき、前叙したところを左右し得るような事情は見出せない。

この場合、被告人として他にどのようなとり得る方法があつたかを問うとき、そのような酔余の者に絡まれたからには、かかわり合いにならないようにホームの別の場所に逃げればよかつたではないかとか、駅員に通報して保護を求めるなどの方法があつたのではないかとかのたぐいのことを、はた目には言うことができるとしても、電車に乗ろうとして階段からホームに下りて来た被告人が、思いもかけず公衆の面前で酔余の甲野に絡まれたうえ、侮辱的言辞まで受け、剰え周囲の者に助けを求めても、笑うなどするのみで誰一人としてこれに応じてくれず、また被告人の供述するところによれば、当時被告人は買い求めてあつた食料品などを二個の紙袋に入れ両手に提げていて、思うように動ける状態にあつたともみられないなかで、そのような被告人に対して、それでもなお自らの困惑した事態をのがれようとするのであれば、その場から立ち去る動きに出て然るべきであつたかのようにいうのは、相手がかかる酔余者であることをも考え、事を荒立てずに済ませるような処置をとるのがよかつたのではないかという、いわば、ただただ被告人に対してのみ然るべき対処を余儀なくさせるという片面的観点からの論であるといわざるを得ず、公共の場でそのような状態に追い込んで来た相手方の行動に関しての視点を欠く嫌いのあるものであつて、右の如き論は被告人に対し一方的にそのような屈辱を甘受せよと無理強いし、また嫌がらせを受けながらもその場から逃げ去るくやしさ、みじめさを耐え忍べよというに等しく、他方、駅のホームという公共の場にそぐわない行動をとる酔余者に対しては、その行動を放任する結果になることから、徒らに同人の右の動きを助長する傾きのあるのを否めないところであり、結局において電車に乗ろうとして駅ホームでその来るのを待つていた被告人の、一市民としての立場をないがしろにするものであつて、到底与することができない。被告人が前叙の如く酔余の甲野から執拗に絡まれ、馬鹿女などといわれ、更には手出しまでされたのに対して、時には無視する態度をとり、時には言い返し、時には手出しされるのを払いのけ或はやり返すなどし、かつ周囲の者らに助けを求めても笑うなどするばかりで、誰一人としてこれに応じてくれないなかでも、自らの方からは積極的な行動に出たという形跡の窺えない経過の中において甲野を突く事態にまで至つたことにつき、それでもなお被告人の対処の仕方にその刑責を問う余地があるかの如くにいうのは、酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律四条をまつまでもなく、公共の場における日常生活上の法理に悖ることとなるものといわざるを得ず、前示いうところの論によつて、被告人の所為が相当性を有し、またやむを得ないものであつたことが左右され得るものではない。

また被告人が甲野を突き、その後甲野が線路上に落ちて死亡するまでに至つていることを捉え、被告人の所為によつて甲野の死亡という重大な結果を招来したからには、その行為に相当性はなく、被告人の刑責が問われざるを得ないものであるかのようにいうのは、甲野を自らの身から離そうとして突いた被告人の所為が、やむを得ないもので、かつ相応な態様のものであつたのを当時の状況のもとにおいてもなお否定しようとすることに帰するが、この間の状況を被告人自身の自らの行為に対する認識の点から考えてみても、その行為が甲野から手による侵害を受けたのに対し、同じく手によつてこれを防御したに過ぎず、そのほか前叙の如き右行為の態様、程度、その際の両者の位置、状況などに照らすと、被告人はもとより死の結果の発生を認識したうえでそれでもなお右の所為に及んだというものでは全くなく(本件の訴因も殺人ではなく傷害致死であり)、他方、甲野もまた、駅のホームという場所で被告人のコートの襟のあたりを手でつかむ所為に出るときは、これに対して被告人の方からこれを離すため現に被告人によつてなされた態様、程度の反撃が返つてくるのを酔余であるとはいえ十分に予測し得る状況にあつたとみられるのに、それでもなお被告人に対して右の所為に出ているという事情も存するのであり、事態の推移に対する彼此のこのような認識の状況にも拘らず、それでもなお甲野の死亡という事態の生じているが故に前示の如く被告人の所為についてこれがやむを得ないもので、かつ相応な態様のものであつたということを否定しようとするとき、それならば被告人としては、甲野の行為に対し如何なる手立てをとつたらよかつたのかということにつき、その対処の余地を見出し難い立場に置かれることになる。このことは畢竟、甲野の所為に対して被告人自らは同人を離す所為に出るべきではなかつたのではないかということになり、或は遡つて、それ以前において逃げればよかつたではないかなどの前示の論にまたも必然的に遭遇せざるを得なくなるところ、これらが前叙した一連の経過にそぐわず、到底容られないものであることは先きに判示したところに照らして明らかであり、以上によれば、甲野が死亡しているの故をもつてしても、前示一連の経過の中での被告人の行為にやむを得ざるものであつたことを否定し去つたり、或は被告人の行為が防衛の程度を超えていたとするの余地は見出せないものであつて、右の論も採ることができない。

然らば、被告人が甲野を突いた所為は、刑法三六条一項にいう急迫不正の侵害に対して自らの身の安全に守るためやむことを得ずに出た所為と認められ、それ故に右所為は処罰されず、本件は罪とならないものである。

よつて刑訴法三三六条前段により被告人に無罪の言渡をしなければならないものとして主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官渡邉一弘 裁判官小久保孝雄 裁判官井上 薫)

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